グラーツ [2006-2012 Trip(EU)]
2月、オーストリア第2の都市、グラーツに行ってきました。
第2の都市といっても人口は30万人程度らしく、とても静かでこぢんまりとした街です。
旧市街はユネスコの世界遺産に登録されています。
今回は列車でリンツからグラーツに向かいました。列車でのアルプス超えです。
↓リンツ郊外の車窓にも所々雪が残っていました。
↓しばらくすると雪を頂いたアルプスの山々が見えてきました。
↓途中の駅ではスキー客が下車してバスに乗り込む光景が見られました。
↓山に近づくにつれ、雪が目立つようになってきました。雪景色が晴天にとても映えます。
↓グラーツが近づいてくると、やはり平地の風景に戻ってきました。
乗り換えが1度あったこともあり、グラーツまで3時間以上かかったでしょうか。
そして街の中心部へ向かいます。
↓中央広場の面する市庁舎。グラーツの正面玄関です。
↓世界遺産に登録されている旧市街は一般車両が乗入禁止らしく、とても静かで落ち着いた雰囲気です。
次に城山に登りました。
↓ケーブルカーで急斜面を登っていきます。
↓城山の上から北側の眺め。遠くにアルプスの山々をのぞむことができました。
↓南側には旧市街が広がります。街中をムーア川が貫いています。
↓市庁舎付近のアップ。
↓城山にある時計塔。グラーツのシンボルです!
↓この時計は長針が時間を、短針が分を示しており、普通の時計とは逆です。
時計塔ができた当時は長針だけあれば事足りたそうですが、後に分を示す短針が追加されたそうです。
↓ムーア川には面白い形をした人口の中洲が。ここにはカフェもありました。
↓ムーア川付近から見上げる城山と時計台。
↓市内にあるドーム。これは皇帝フェルナンド2世の霊廟だそうです。
↓ドームの目の前にあるお花屋さん。素敵なアレンジ、そしてガラスにドームが反射してとても綺麗です!
↓旧市街の夜景もとても幻想的!
↓ここグラーツはハンガリーやスロヴェニアの国境に近く、観光案内パンフレットも多言語が用意されていましたが、
とりわけ周辺国の言語が目立ちました。
写真は上からハンガリー語、クロアチア語、スロヴェニア語のパンフレットです。
グラーツには旧ユーゴスラビアから移ってきた人が多いと聞きます。
そういえばサッカーの日本代表監督も務めたイビチャ・オシム氏(サラエボ出身)もボスニア紛争後
長らくここグラーツのクラブチームを率いていました。数あるオファーの中でグラーツに決めたのは
「親戚や友人と連絡が取りやすいから」という理由もあったそうです。
↓ホテルではスロヴェニア語のテレビも見れるようになっていました。
静かで落ち着いた世界遺産の街グラーツ。
決して派手さはありませんが、独特の味を醸しだしているように感じました。
第2の都市といっても人口は30万人程度らしく、とても静かでこぢんまりとした街です。
旧市街はユネスコの世界遺産に登録されています。
今回は列車でリンツからグラーツに向かいました。列車でのアルプス超えです。
↓リンツ郊外の車窓にも所々雪が残っていました。
↓しばらくすると雪を頂いたアルプスの山々が見えてきました。
↓途中の駅ではスキー客が下車してバスに乗り込む光景が見られました。
↓山に近づくにつれ、雪が目立つようになってきました。雪景色が晴天にとても映えます。
↓グラーツが近づいてくると、やはり平地の風景に戻ってきました。
乗り換えが1度あったこともあり、グラーツまで3時間以上かかったでしょうか。
そして街の中心部へ向かいます。
↓中央広場の面する市庁舎。グラーツの正面玄関です。
↓世界遺産に登録されている旧市街は一般車両が乗入禁止らしく、とても静かで落ち着いた雰囲気です。
次に城山に登りました。
↓ケーブルカーで急斜面を登っていきます。
↓城山の上から北側の眺め。遠くにアルプスの山々をのぞむことができました。
↓南側には旧市街が広がります。街中をムーア川が貫いています。
↓市庁舎付近のアップ。
↓城山にある時計塔。グラーツのシンボルです!
↓この時計は長針が時間を、短針が分を示しており、普通の時計とは逆です。
時計塔ができた当時は長針だけあれば事足りたそうですが、後に分を示す短針が追加されたそうです。
↓ムーア川には面白い形をした人口の中洲が。ここにはカフェもありました。
↓ムーア川付近から見上げる城山と時計台。
↓市内にあるドーム。これは皇帝フェルナンド2世の霊廟だそうです。
↓ドームの目の前にあるお花屋さん。素敵なアレンジ、そしてガラスにドームが反射してとても綺麗です!
↓旧市街の夜景もとても幻想的!
↓ここグラーツはハンガリーやスロヴェニアの国境に近く、観光案内パンフレットも多言語が用意されていましたが、
とりわけ周辺国の言語が目立ちました。
写真は上からハンガリー語、クロアチア語、スロヴェニア語のパンフレットです。
グラーツには旧ユーゴスラビアから移ってきた人が多いと聞きます。
そういえばサッカーの日本代表監督も務めたイビチャ・オシム氏(サラエボ出身)もボスニア紛争後
長らくここグラーツのクラブチームを率いていました。数あるオファーの中でグラーツに決めたのは
「親戚や友人と連絡が取りやすいから」という理由もあったそうです。
↓ホテルではスロヴェニア語のテレビも見れるようになっていました。
静かで落ち着いた世界遺産の街グラーツ。
決して派手さはありませんが、独特の味を醸しだしているように感じました。